アラサーが夏目漱石の「それから」を読んで、麺麭(パン)のために働らくことに思いを馳せる

最近、まとまった暇ができると青空文庫を読んでいます。

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青空文庫編 青空文庫早わかり

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今日、題材にするのはこちら。
夏目漱石 それから

読みはじめたきっかけ

学生の頃から続いている勉強会がありまして、ある回で「みんなの生きがいってなに?」というような題材を取り上げました。そのときに課題本にしたのが「仕事なんか生きがいにするな」。かなりセンセーショナルなタイトルですよね。

この本もとても面白いのですが、このなかで引用されていたのが夏目漱石の「それから」でした。

「猛烈には働らけるかも知れないが誠実には働らき悪いよ。食う為の働らきと云うと、つまり食うのと、働らくのと何方が目的だと思う」
「無論食う方さ」
「それ見給え。食う方が目的で働らく方が方便なら、食い易やすい様に、働らき方を合せて行くのが当然だろう。そうすりゃ、何を働らいたって、又どう働らいたって、構わない、只麺麭が得られれば好いと云う事に帰着してしまうじゃないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から制肘される以上は、その労力は堕落の労力だ」

この考え方、とても極端ではありますが、私にはかなり共感するものがありました。
というのも、私と同世代の人たちはいま、この種の選択に直面しているように思うのです。

安定した生活とやりがいのある生活は二者択一なのか

主人公の代助はいわば高学歴ニートで、親が資産家なので働く必要がありません。
代助の旧友、平岡は地方で会社員をしていましたが、(自主)退職させられた末、代助を頼って東京に戻ってきます。平岡にとっては、生活をするためには何であろうと(パンのために)働くしかないわけです。

一方、代助はいろんな言い分を並べつつも、実のところ自分のやりたいことを見つけられずにいます。そんな代助も、親から持ちかけられる縁談を断り続けていたため、下手すると勘当されてその安定した地位を失いかねません。

彼の頭の中には職業の二字が大きな楷書で焼き付けられていた。それを押し退けると、物質的供給の杜絶がしきりに踴り狂った。

代助は自分の感情に誠実にあり続けますが、結局のところそれは財政的な安定が前提となっていることがわかります。前提が崩れれば、彼もまたパンのために働かざるを得ません。

ところで、今日のTwitterでこんな話題がありました。

このツイートは就活生に向けた講演会の話ですが、私たちの世代はもう少し上で、会社に入って数年経ち社会の現実が見えてきた頃。
就活時に「安定した大企業」に就職した人たちにとっては、今がもう一度選び直せるチャンスかもしれません。でも、代助のようにやりたいことが見つからず、安定した地位からは抜け出しづらい。仮に「ヘンな仕事して楽しく生きる」ことを胸に秘めていたとしても、結婚や家族のためにそれを諦めることもあるでしょう。
平岡のようにパンのために働いて生きていたら、クラスメイトの代助に笑われるだろうか?

私も含め、みんながどう舵を切っていくのか、楽しみです。